天導天使が12号を見つけたのは、かれを中傷する声を中庭に聞いたからだった。
「そこで何をしているのです?」
近づくと、偽翼のサイズから、中級天使と思われる人影が数人、教団の頂点に立つ上級天使の秘書であり、天使的博士(ドクトル・アンゲリクス)とも呼ばれる彼女の思わぬ登場に驚き、逃げるように茂みに散った。
山梔子が甘く香る中庭に、12号が佇んでいた。
何事も無かったように、いつものように、ただ静かに。
出生が災いし、かれは教団の中で特異な存在であり、幼少時から、ただの教団員として埋もれることを許されなかった。若い身で教団上層部員であるコリエルという地位に在りながら、しばしば悪意の籠った揶揄や嘲笑、質の悪い噂の標的になっていることは、天導天使も、上級天使でさえ知っていた。
「余計なことをしましたか?」
天導天使は、12号に問うた。
かれはかぶりを振った。
「お気遣い、ありがとうございます」
寂しげな笑みだった。
「山梔子。まだ頑張って咲いている花があったのね、いい香り……」
「そうですね……」
12号が、ぽつりぽつりと続ける。
「花弁の端が、もう駄目になって来ちゃいましたけど」
「でも、すごいわ。一輪でもこんなに香るなんて」
空気をほぐそうと、天導はにこやかに告げたのだったが、返ったのは沈黙だった。12号は、ハッキリとした性格だった兄とは違い、内向的で、なかなか本心を言いたがらないことを知っていたので、彼女は気にしないように次の言葉を待った。
少し間を置き、12号が言った。
「『お前は山梔子だ』と、言われました」
「山梔子?」
青年は、微かに苦い笑みを浮かべてから、咲き残る花を見やる。
天導天使は、はっとした。言葉の含む意味の全てがわかってしまったのだ。
「12号様……」
この、山梔子のようだと。しゃべらない『口無し』だと。
上級天使の静かなため息に我に返る。
「天導、たまには掛けていったらどうだ」
珍しいことを言う。
「わたしはメイドを雇った訳ではない。お前もひと息ついたらどうだ」
「ありがとうございます」
クスリ、と思わず声を立てて笑う。
「研究のご報告も兼ねておりますし、研究棟はご存知の通りで狭い上に薄暗いものですから、こちらに伺うときには羽を伸ばすような気持ちでおりますので」
「職務に差し障りの無いように、また頼む」
上級天使は、眼鏡をかけると、手にした報告書に視線を落としたままで言った。
「上級天使様も、もっとお休みになられてはいかがですか」
「否。これで充分だ」
天導は、まだ温かい茶器をトレイに下げながら苦笑した。
だが、この不器用な上司なりの褒め言葉であるのをわかっているので、素直に嬉しい。
「この茶葉、わたしも好きな種類なのです。またお持ちいたしますね」
「……頼む」
「上級天使様?」
「何だ」
顔を上げず答える。
「山梔子の葉は被れることがございますから、お気をつけ下さいね」
「あいつとは違う」
視線を戻した上級天使は、ふっ、と再び笑った。
笑みを返した天導天使は、山梔子を思った。
そして、12号と上級天使の2人を、改めて、似ていると考えた。
一輪であっても、人を振り向かせる香りがする。
朽ちることのない想いを胸に持っている。
「山梔子……わたしは好きですよ……」
天導はもう一度つぶやいて、茶器から立ちのぼる、ほろ苦く甘い香りに、微笑みかけた。