灰十字 ─ Cros Liath ─

くちなし


「花の香りがするな」
 上級天使がつぶやく。
「甘い……」
 背もたれに寄りかかったまま、透けるような白金の髪を撫で付けながら思案顔をしている上司に、天導天使は細い指で静かに、程よく蒸らした茶をいれた。

「お前が入って来てからだ」
「えっ?」
 天導は、鼓動を跳ね上げた。
 遠くに何かを見ように鈍い色をしたかと思えば、射抜くような光を宿す。
 よく眉根を寄せるのも、こうした瞳の表情も、血の色が透ける紅い双眸の上司の視力が弱いからなのだということを、かれの秘書としてだけでなく、医療にも明るい天導天使にはよくわかっていたが、それでも慣れることができない。

「ああ、それでしたらお茶の香りではないでしょうか…… この種類は、口に含むと山梔子のような甘い香りがするように思います」
 黄金色の茶に視線を移すも、上級天使は言った。
「お前だ、天導」

 頬に朱を昇らせた天導は、自分の濃紺の服をあちらこちらと触ったり、振り返ったりなどしてみたり、しまいには結った髪に手を当てたりなど、上司の目を気にしながらひとしきり自分の身なりを確かめた。そして、ようやく原因に思い当たった。
 一輪咲き残る花の前に立つ青年の姿。

「先程中庭で、コリエル12号様にお会いしました」
「12号だと?」
「はい。山梔子が咲いていたので、その香りが移ったのでしょう」

「……あいつめ」
 鈍色の髪に灰色の目をした、『かたはら』だ。
 ため息をついて茶を飲むと、確かに、ほのかに甘い香りが鼻へと抜けた。
「職務のある時以外は、部屋に籠りきりか行方知れずのどちらからしい」

 上級天使は、直属の部下であるコリエルの末席に名前を連ねる青年を思い浮かべた。
 自分より幾つか年下の青年の、あの、どこも何をも見ぬような、そして時に、瞬きをせぬ人形のように向けられる、昏い影を落とす真っ直ぐな瞳を。
「……山梔子、か……」

     

 対照的ではあるが、瞳の本質が似ていることを、天導天使は前から感じ取っていた。かれらよりも幾つも歳上の自分がこのマルクト教団に見出され、引き抜かれて来た当時には、上級天使も12号も既にその名で呼ばれていたが、両者とも、まだ少年であった。自分も研究者の中ではいちばんのヒヨッコだったが。

 あのときは、そう、まだ『3人』だった。12号の傍らには13号──12号の、腰で体の繋がった、双子の兄の存在が在ったのだ。ひとつの心臓をふたりで共有している状態であったため、医局では、このままではどちらも生き残れぬという見解だった。現に双子は、育つにしたがい体を弱くしていった。

 しかし、教団としては、上級天使に次いで『神』に近い者として、かれらをどうあっても失う訳にはいかない理由があった。双子は、潜在的能力と言える部分の波動が、『神』と非常に高い数値で同調を示していた。言葉を持たぬ『神』との交信の手駒として、生かしておく必要が有ったのだ。結果、心臓を持たぬ兄の命が、弟を生かすために切り捨てられた。

「上級天使様も、お部屋に籠りきりではお体に障りますよ?」
 天導は、痛む胸から気を逸らすように、難しい顔をした上司に言った。
 ふっ、といういつもの皮肉な笑いが返る。
「この馬鹿でかい偽翼を背負ってどこをうろつけと言う。植木の剪定をしろとでも?」
「お手入れが大変ですものね」
 思わず苦笑いをする。

 まったく、誰がこんな酔狂なものを考えたのだ、と上級天使。
「お似合いですのに、と申したら失礼ですか」
「……お前は鳥好きだからな」
 天導は微笑んだ。
 このかたは、お美しい。現実味の無いほどに。
 翼を負う立ち姿などは、それこそ天の使いのように。

 そして、哀しい。
 傍らだけの存在となった、あの青年のように。





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