最後の3分でなにができるか、と不意に上級天使が問うた。
「おまえはなにをしたいと思うか、天導」
「3分間、ですか」
天導天使は手をまろい顎にそえる。
執務室にて小休止の時間、いつものようにお茶をいれてきた秘書に、窓辺にたたずみ紅い瞳を彼方に据えたままの上級天使は言うのだった。羽ばたけば飛べるような大きな偽翼を背負うかれは、怜悧さをまとう冷たい美貌を、意外にも愉快そうに緩ませているように見えた。
白い翼と白皙の美貌は、いつ見ても本物の天使のようで、天導天使は少し瞳を細める。
教団員として中サイズ程度の偽翼を身につける天導天使は、上級天使の秘書にして、研究棟では
「3分だ」
上級は繰り返した。
茶を受け取ったかれは、ひと口飲み込んだ。
天導は考えている。
「もう3分以上経っているぞ」
「……なかなか難しいですね」
「わたしにも正確なことは言いかねる。今この瞬間に死ぬかもしれぬのだからな」
そんなことは、と間髪入れずに天導が言う。
否、と上級。
「誰もが持っている条件だ。等しくな。この世界では、おなじ法則のなかでわれわれは生きている。生かされているのだ。わがマルクトふうに言うならば、『創造維持神によってそのように維持されている』のだよ」
「……そうですね」
頷くものの、天導は、上司は質問をしたいわけではなく、話をしたいのだと気づき、質問をひかえた。
「あと3分の命だと誰かに言われたとしよう。しかし、それには確証がない。殺されるのなら別だがな」
「上級天使様」
「悪い。3分だなんだと言われようが、確証がないのだよ」
上級は茶を飲み終わると、静かに自分の卓のうえに置き、立ち話を続けた。
「人間の命には保証がない。いつ尽きるのか判らぬ。にもかかわらず、最後の3分間はなにをしたいか、なにができるかと、十二号に問われたのだ」
「十二号様に……」
「死に損ないのあいつは、いつも死についてを考察しているようだ」
「……」
天導は、教団幹部コリエルの末席である十二号に思いを馳せた。結合児の双子として生まれたが、心臓が弟のほうにひとつしかなかったため、成長するに従い重くなる負担を解決するべく、結果として兄を犠牲にしたのである。それから生き残った弟は、生ける屍のように生気のない態でいる。
この、片割れとなった十二号のことを考えると、いつも胸が痛くなる。
「十二号様にはカウンセリングの継続を勧めてはいるのですが、事実は変わらないと言って断られてしまうのです」
「もっともな話だ」
上級はさも愉快そうに鼻で笑った。
「生命など、白か黒か、ONかOFFかの違いにすぎぬ。生けるものは必ず死ぬ。生命活動の連鎖。それを生きると言う。しかしその連鎖には限りがあり、いつ途切れるのかは誰も知らない」
「はい」
「時間という概念にしても連鎖にすぎぬ。続くか止まる、そのどちらかだ。未来は瞬く間に今となり、今は過去になりかわる。過去、現在、未来の連鎖にすぎぬ。最後の3分……考えるだけ無駄な時間だとは思わぬか。夢物語を語りたいのなら別だがな」
気づけば上級は腕を組みながらこちらをまっすぐに見ており、天導はやや、たじろいだ。白く長いまつ毛のしたから血色の双眸に見つめられると、美しさと畏怖で緊張をすることが多々ある。この上司のそばにいる時間は、教団のなかでも自分がおそらくいちばん長いというのに。
「そうですね。わたし自身、わたしという現象の連なりでしかありませんし、それがいつ終わるのかは誰にも判りません。3分先の未来を描いても、すぐに今がやってきますし、今は瞬く間に過去に流れてしまいますね」
「そういうことだ」
視力の弱い上級は、少し眉をしかめるように視線を外した。
「最後の3分間。おまえはなにをしたい」
繰り返す。
天導は答えた。
「わたしは、今を大事にしたいです。3分先まで」
「正論だな」
そう言う上司は、わずかに笑んだように見えた。
「われわれは、死に対して無防備すぎる。ゆえに、われらの現存する神、創造維持神の守護と研究は欠かせない」
「はい」
「……多忙のなか、いつもすまぬ」
「あ、いいえ、わたし自身の小休止ともなっておりますから」
「十二号様とは、またお話をしてみようと考えております」
「そうか」
気の無い返事が返る。
とはいえ、十二号とは歳の近いこの上司なりに気を遣っているのだということは知っているので、天導は笑みで答えた。
「今度はハーブティーをお持ちいたしますね」
「頼む」
上級天使は、自分のデスクに戻り、椅子の金具に偽翼を固定して座すると、書類の山に目をとおし始めた。
頭のなかに、最後の3分間というフレーズがこびりついている。今が充分であればいいという、上司の言葉が導き出した答えをかみ締めながら、天導天使は上司の執務室を一礼して退室するのだった。